なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

広島の一番長い日


 今年もまた、この暑い夏がやって来ました。今年は例年にない暑さの中で、平和祈念式典が行われました。今年の8時15分は自宅のテレビの前で迎えました(^^;)。
 「もう65年経った」というべきか「まだ65年しか経っていない」というべきか、長い歴史から見れば、65年なんてほんのちょっと前のことなのでしょう。そんな不思議な感覚に包まれながら、式典をテレビで見ていました。
 ところで、気になったのはこんな記事。

 菅直人首相は6日午前、原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式)に出席後、広島市内で記者会見し、「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」と述べた。広島市秋葉忠利市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことへの対応を問われたのに対して答えた。記念式では「核の傘」への言及は避けていた。

asahi.com(朝日新聞社):「核抑止力は引き続き必要」菅首相、平和祈念式後に - 核なき世界へ

 twitterなどを見ていると、核の傘からの離脱を求めた秋葉市長の平和宣言を、非現実的であるとして批判するひともいます。なるほど、それもそうかなと思わないでもないです。しかし、広島市民の一員として?言えば、平和宣言が妙に現実的だったり、現状肯定的だったり、妥協の産物であったりしてほしくない。ここはやはり、たとえ非現実的と言われようとも、理想主義的だといわれようとも、広島市民が考える「平和」というものがどのようなものであるのか、政府にどのような道筋を歩んでもらいたいのかを、高らかに歌い上げるような宣言にして欲しいところです。その意味で、秋葉市長が「核の傘からの離脱を求めた」こと自体は、率直に評価したいと思います。なぜなら、市民が求めているのは、まさに、核兵器がない世界であり、それを理想とするのであれば、まず、なによりも、自らが核の傘から出ることを指向するのが正しいと思うからです。
 それに対して、菅総理の「核抑止力」発言はなんでしょうね。田母神俊雄さんの発言かと目を疑いました。せっかく、国連の事務総長や合衆国の駐日大使もやってきたというのに、その日に核抑止力を云々する必要はなかったのではないですかね。総理として、そう言わざるをえない立場はわかるけど、官邸に戻ってから言っても遅くないのではないかと嫌味を言いたい気分にはなりました。鳩山由紀夫さんがまだ総理として残っていたら、こんなことを言わなかったのではないかと妄想したりします。
 市民や国民のひとりひとりがいろんなことを考えながら過ごしたであろう、広島にとって長い一日が、ようやく終わろうとしています。
 65年前の今ごろ、市内の様子はどうだったのだろうか。火事はまだ続いていたのでしょうか。暑さはどうだったのでしょうか。かろうじて生き残った人、息を引き取った人、それぞれの壮絶な瞬間に思いをはせながら、今日という日を終えたいと思います。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。