なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

「承認」と「非承認」をともに求めて

 はてなで日記をはじめてそろそろ丸5年がたちます。当初はモバイル系の日記としてはじめたつもりで、もちろん、今もモバイラーとしての矜持を忘れたことはありません。ただ、昔はPDAと呼ばれるマシンに通信カードを差し込んだり、無理やり日本語化して遊んでいたので、それなりに苦労も多く、同時に楽しさもいっぱいで書くネタも豊富にありました。今はスマートフォン全盛の中で、あまり苦労せずいろいろ使えてしまうので、なんとなくモバイルネタは少なくなってしまいました。思えば、hx4700を手にいれたあたりが自分としては全盛期だったような気がします。
 ところで、この日記は、そうしたいわばアイデンティティとしてのモバイルネタだけではなく、ありとあらゆる身辺雑記も書いています。また、数は少ないながらも、仕事がらみの司法関係のエントリも書いていて、「非常にまとまりがないのが特徴」みたいなことになっています。
 そもそも、純粋に趣味としてのモバイル日記であれば、冒頭に「弁護士の日常」なんてことを記す必要さえない。時事ネタは時事ネタでブログを分けるというのが、ある意味、潔いやりかたなのかもしれません。また、弁護士として、自分の法律的なスタンスを世に問うというのであれば、場合によっては実名で書いてもよいし、法律ネタを中心に据えるという形式にするのがよいのかもしれません。はてなでいえば、落合弁護士の日記がそうであるように。
 また、ブログを集客の手段としてとらえる方法もあります。ぼくの地元の地名と「弁護士」、「ブログ」などをキーワードにしてグーグルで捜すと、地元では有名な「お金儲け系」の事務所のブログがトップに出てきます。それはそれで、ブログを広告として使っているのであれば、大切なことなのでしょう。
 こうしてみると、ぼくの日記は、趣味系に徹するわけでもなく、時事系や評論系に身を置くわけでもなく、もちろん宣伝とは無縁のもので、いわばごった煮的な立ち位置をとっています。
 話は突然飛躍しますが、今日、新幹線で読んでいた佐々木俊尚さんの「ブログ論壇の誕生」という新書に、興味深いことが書いてありました。現在のムラ的共同体も家族的な会社組織も崩壊した社会では、人は他者から「承認」されることが少なくなっていると指摘されています。家族や恋人がある場合には、そこで「承認」を得られるけれども、そうでない場合には、ブログやSNSを通じてネットで「承認」されることを求めることがあるとも。秋葉原事件などがその文脈で取り上げられていました。
 そこで感じたのは、ぼくがこうして日記にいろいろ書いてしまうのは、やはり他者からの「承認」を求めているのではないかということです。いろんな側面を明らかにして、多面的なネタを書いてしまうというのも、そうした承認欲求の現れなのかもしれません。
 他方でぼくは、匿名性というネットの特徴を享受したままでいたいし、書き手が特定されてしまうことを嫌っています。「なるしす日記」=◯◯弁護士の日記、としてとらえられることは、あくまで拒否したいと思っていて、リアル社会での承認は拒絶したいという願望もあるわけです。それは単に、実名を出すといいたいことがいえなくなるという理由だけではない何かがあるような気がしています。
 そうした「承認」と「非承認」のはざまで、いつまでもゆらゆらと漂っているような、そうした薄い煙のような日記であり続けたいと思っています。

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

ブログ論壇の誕生 (文春新書)