なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

「モンスターペアレント」というレッテル

 ある現象について、ぴったりくるネーミングがなかったがために、その現象そのものが日の目を見ることがない、ということがあります。そして、それについてぴったりとくる用語が周知されるや、その現象のものに対する理解や注目が高まるという事態もしばしばあります。たとえば、「セクハラ」や「PTSD」といった現象はその典型例なのではないでしょうか。こうしたことは、人類史上(というと大げさですが)、以前から見られてきたことですが、それが世の中に認知され、問題視されるようになったのは最近のことです。注目されるようになったのが先か、言葉が広まるのが先か、どっちでもいいような気はしますが。
 さて、「モンスターペアレント」という言葉も、ちょっと前からはやっています。そうした親が多いのも事実でしょう。
 ただ、こうした呼び方は、学校や教師にとって、実に都合のいいレッテルになっているのではないかと思います。なにか面倒なことを言ってくる親があれば、あれは「モンスターだから」といっておけば、他の保護者も納得してくれるのではないか、そうした風潮が現場にないとはいえないような事態に遭遇しました。
 とある小学校で、児童がいじめにより不登校になりました。親は学校に訴えるが、学校は「調査したがそのような事実はない」として突っぱねます。いじめた側の親がその学校のPTAの役員だったりするので、不登校児の親も不信感を募らせます。その結果、学校がとった措置は、ある意味、唖然とするものでした。学校は、臨時の保護者集会を開き、不登校児の親を演台に立たせ、その親に主張を訴えさせました。親は、「○○さんの子の○○ちゃんがうちの子をいじめた。そのせいで不登校になっている。学校は何もしてくれない」などと訴えるわけです。学校は、それに対して何かのリアクションをするのでもなく、そこに出席していた○○ちゃんの親も反論するわけでもなく、ただの言いっぱなし。学校はそうした集会の場を持つことで、「あんたらの言い分を訴える場も作ってやった」という免罪符を手に入れ、あとは放置するかのような対応でした。なんの解決も調整もなされていないように見えますけどね。
 弁護士的な発想をすれば、このような公開の場で、相手を名指しして意見を言うことは、それなりの根拠がないとできることではありません。多少の誇張や自らに都合のよい解釈が混じっている余地がないとは言いませんが、基本的に、その主張を疑うべき理由はないのではないかと思います。学校がどのような調査をしたのか、どのような根拠でいじめはないと判断したのか知る由もありませんが、一方的な会見の場を作ったからと言って、それが学校としての態度として十分なのか、はななだ疑問なしとしません。
 もうちょっと敏感かつ繊細に反応してもよい問題だと思いますがね。ゆとり教育もなにもかもかなぐり捨てて、かつての「モンスター」に戻りつつあるのは、学校の現場なのではないでしょうか。