なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

なんとも不毛な光市母子殺害事件裁判

 どんどん飛び出す、被告人のトンデモ発言。それを受けた本村さんのコメントは、要するに、「被告人は全然反省していない。こんな状態で死刑判決が出ても意味がない」というものでした。
 このコメントに、この裁判の不毛さがにじみ出ていると思います。
 一般に、死刑判決が予想されるが、かといって、無実でも何でもなく、有罪は間違いない、という事件の場合、被告人が取る対応は限られてきます。

  • 淡々と死刑判決を受ける。
  • 情状面でありとあらゆる主張を尽くして、裁判官の温情に一縷の望みを託す。
  • 荒唐無稽でも何でも、とにかく無罪方向へつながる主張を行い、これも万に一つの希望とする。
  • 精神状態が悪かったとして、心神耗弱・心神喪失の方向で争う。

 こんなところでしょう。本件で被告人は、原審までは2番目の戦術をとり、それが成功して死刑判決を回避することができました。ところが、最高裁でこれが覆され、同じ方針で臨んだのでは、死刑判決は避けられない。
 そうすると、1番目があり得ない以上、3番か4番しか選択肢はありません。弁護団が3(それに加えてもしかしたら4)の戦術をとったというは、自然の流れで、高裁判決が破棄された段階で、当然に予想できたことです。
 さて、被告人・弁護人がこのような対応を取ったことで、本村さんは深く傷つくことになりました。それはそうでしょう。こんな荒唐無稽とも言うべきストーリーを聞かされるのは、耐えられないことだと思います。
 しかし、このような結果は、実は、本村さんが被告人に死刑を適用しようと奮闘した結果として、半ば起こるべくして起こったことなのです。何が何でも死刑を回避しようとする場合、こういう争い方をするしかないからで、被告人がそのようなタイプの人間であることは、被告人が拘置所から知人に宛てたあの手紙でもわかったはず。
 本村さんが被告人を死刑にしようと努力すればするほど、被告人もそれを避けようとして、必死にトンデモ発言に及んでしまうのです。
 真に被告人に反省を迫ろうとするなら、やはり死刑を求めていくだけではダメなのではないかと思います。
 たとえば、死刑を宣告しておいて、いったんその執行を猶予しておき、本当に反省した様子であればしばらく執行を見合わせる。もちろん、それで安心してまた態度がおかしくなることもあり得るから、そうなったら執行猶予を取り消す。そうやって、執行猶予がしばらく(たとえば20年)続けば、そこで無期刑に減刑するとか、そんな制度があってもいいような気がします。
 きっとこのままでは、被告人は変なストーリーを語ったまま死刑になるだろうし、被告人も「作戦失敗か」とつぶやいて死んでいくだけではないのでしょうか。本村さんにしても、今の気持ちが変わることはないのでしょう。
 そうだとすれば、本来は厳粛な場であるはずの法廷を、そうした不毛な「作戦」の場にしてしまう死刑制度というものを、今一度、見つめ直してみる必要があるのではないでしょうか。