なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

<宮崎勤死刑囚>「創」編集長が面会特別許可得て接見

 連続幼女誘拐殺人事件で殺人罪などに問われ、1月の最高裁判決で死刑が確定した宮崎勤死刑囚(43)が30、31日、東京拘置所の特別許可を得た月刊誌「創」篠田博之編集長と面会した。死刑確定で外部との接見や文通が制限されることを懸念していた宮崎死刑囚は、うれしそうな表情を見せたという。
 死刑囚との面会や文通は、63年の法務省矯正局長通達を根拠に事実上、親族や弁護人に厳しく制限されてきた。宮崎死刑囚は2月に創出版から著書「夢のなか、いまも」を出版。篠田編集長は「印税支払いや著作権に関する契約」のための面会特別許可を求め、認められたという。
 国会には死刑囚の面会や文通範囲を拡大する「刑事収容施設・被収容者処遇法案」が提出されている。篠田編集長は「こうした状況も踏まえ、異例の面会を認めてくれたのではないか」と話した。【木戸哲】
毎日新聞) - 3月31日22時57分更新

 ちょっと前のニュースですが。
 死刑が確定してしまうと、死刑囚の立場は微妙になります。もう裁判はありませんから、無罪の推定などは受けられません。他方、死刑囚の刑は「死刑」を受けることそのものにあるので、死刑執行までの身柄拘束そのものは、死刑の準備段階とはいえても、刑の執行そのものではありません。ですから、懲役刑の受刑者と違って、日々の労働はありません。
 そうすると、死刑執行前の死刑囚の行動については、他の懲役刑の受刑者よりも緩やかな制限で良いのではないかと考えられます。国家機関による死刑の制度を認めるとするなら、せめてその刑が執行されるまでの間、面会や文通を広く認めてもよいと思います。彼らだって、執行前に片づけておきたい問題の一つや二つはあるでしょうから。
 ところが、法務省当局は、それを厳しく制限します。その根拠は、「死刑囚の心情の安定を害するから」であるといいます。しかし、死刑囚が望んで面会や文通をするのに、「心情の安定」が害されることがあるでしょうか。むしろ、望んだ面会が叶わないことの方がよほど心情の安定を害するのではないでしょうか。また、心情の安定を害して何が悪いのか、という「そもそも論」もありそうです。