なるしすのブログ

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【ミニ書評】矢沢・清水『戦時司法の諸相』(溪水社,2011年)を読む

戦時司法の諸相―翼賛選挙無効判決と司法権の独立

戦時司法の諸相―翼賛選挙無効判決と司法権の独立

 太平洋戦争が開戦し,わが国がまっしぐらに戦争に突き進んでいった昭和17年4月。このとき,第21回衆議院総選挙が行われいる。このときの総選挙は「翼賛選挙」と呼ばれている。「翼賛政治体制協議会」という民間の組織が,ほぼ定員に相当する候補者を推薦し,推薦候補者の当選を目指して活発に活動し,実際にほとんどの選挙区で推薦候補が当選することになったからである。もちろん,「民間の組織」が行ったというのは建前にすぎず,実際には,政府や地方公共団体自治会などといった組織がこれを強くバックアップし,一方で,非推薦候補者に対しては,監視や身柄の拘束などを行うことで選挙活動を妨害していった。本書に収められた詳細な記録によれば,定員466人中,推薦候補者の当選が381名,非推薦候補者の当選が85名であった。時局柄,非推薦候補者といっても,戦争に反対していたものばかりではなく,戦争遂行や強力議会の確率などを訴えて当選したものも多かったという。ちなみに,広島県では,第1区は定員4名のところ,上位3名が推薦候補者が当選。4位に非推薦候補者が滑り込んで当選している。第2区では,定員4名のうち,2位,3位が推薦候補者,1位と4位が非推薦候補者の当選である。第3区は定員5名のうち上位3名と5位の4名が推薦候補者であり,非推薦候補者1名が4位で当選している。つまり,県全体では,13名の定員のうち9名が推薦候補者で占められていたということになる。
 ところで,翼賛選挙の運動の濃淡には地域差があったようで,とくに,従来から議会で政府や軍部に批判的な活動を行ってきた議員がいるような地域では,その議院(候補者)の落選を目指して特に活発な運動が展開されたようである。その結果,これまでトップ当選をしてきた議員が,大きく票を減らして落選するなど,公正な選挙活動が行われなかったのではないかという地域がいくつも生じた。その中で,当時の衆議院選挙法82条に基づいて,選挙無効の訴訟がいくつか提起された。当時の法制度では,無効訴訟は大審院に直接,提訴し,大審院が1審にして最終審として判断を示すことになっていたが,実際に選挙が無効とされたのは第3民事部が担当した鹿児島県第2区の選挙のみであった。すなわち,第3民事部は,鹿児島県第2区の選挙について,昭和20年3月1日,当該選挙を無効とする判決を言い渡したのである。本書は,その選挙無効訴訟,とりわけ,その中で唯一,選挙を無効であると宣言した大審院の第3民事部での審理や判決を紹介するものである。単に判決文を紹介するだけではなく(実は判決前文が読めるというのもたいへん貴重なことではあるのだが),第3民事部を構成する各裁判官の略歴や,判決後の裁判官の動向(裁判長の吉田久は判決の4日後に辞職している)にも詳しく触れられていてたいへん興味深い。
 本書が出る3年前(2008年)には,共著者の一人である清水聡氏が「気骨の判決 東條英機と闘った裁判官」という吉田の評伝を書いている。新潮新書で発売されたこともあり,こちらを読んだ人も多いだろう。本書で無効判決に触れている部分には,新潮新書で触れられている箇所も多いのだが,本書のほうが,選挙区ごとの詳細なデータもあり,また何よりも,貴重な判決全文が掲載されていることもあり,新書で興味を持った方には,ぜひ,本書のほうも読まれることをおすすめしたい(なお,判決文が当時のまま掲載されているのはありがたいことではあるのだが,一般の読者のことを考えると,判決文にある漢字の旧字体新字体に直すくらいの加工はあってもよかったかもしれない)。ただし,学術書で脚注も多いので,できれば新書のほうから先に読むと理解しやすいかもしれない。
 本書のもう一つの意義は,当時の裁判官(や弁護士を含めた法曹界)が,どのように戦争に協力するようになっていったか,また,戦後,どのように変節していったのかを資料をもとに明らかにしている点にある。とくに,戦前の代表的な法律雑誌であった「法律新法」を取り上げて,その内容や論調がどのように変化していったのかを述べるくだり(本書第11章)は,たいへん読み応えがあった。しかも,大きく右傾化する法学者(小野清一郎がその代表格)や裁判官の中で,公職追放になったのはごくわずかであり,裁判官のほとんどはそのまま職にとどまり,戦後は最高裁判事などに登り詰めていく。著者の表現を借りれば,「機関としての司法権の独立は獲得された。だが,そこに就いた人材は,実は戦前からの連続性を持っていることに注目すべきなのである。そしてそれが,今日まで続く司法行政と司法官僚の出発点となっているのである」という指摘(225頁)はたいへん重要であると思われる。戦後のわが憲法では最高裁判所には違憲立法審査権が与えられたことは言うまでもないが,最高裁がその行使に消極的であり,「司法消極主義」を取っているというのも,実はこうした背景によるものなのかもしれない。
 本書は学術書ではあるものの,文章それ自体は読みやすく,「歴史秘話」的なミステリーを読むような楽しさも併せ持っている。法律に関わるわれわれ法曹だけではなく,法曹を目指す人や関心のある人に広くおすすめしたい。
 憲法記念日にあわせて読み終え,書評を書いて掲載するつもりだったのだけど,時間に追われて2日送れてしまいました。憲法記念日に読むのにふさわしい内容と水準を持った貴重な文献だと思いました。
気骨の判決―東條英機と闘った裁判官 (新潮新書)

気骨の判決―東條英機と闘った裁判官 (新潮新書)