なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

靖国判決の評価

 予想どおり、各地でさまざまな反響が見られます。メディアのなかでも産経は批判的、朝日は好意的と、これまた予想どおり。
 ここでは、原告の中心が高金素梅という活動家であり、裁判がいわば運動の一貫として行われているという問題と、小泉首相の参拝が憲法上、問題があるのかないのかという点は、きっちり分けて考えることを提案したい。
 前者については、やはり大いに疑問があると思う。原告団が、「違憲かどうかは日本人の問題で、私たちにとってはさほど大きな問題ではない。関心があるのは、日本の反省、謝罪、賠償だ。」と述べたというのは(朝日新聞)、どう考えても理解できない。「日本の反省、謝罪、賠償」を求めるなら、裁判ではなく政治活動でやればいい。裁判というのは、そのような反省、謝罪を行う場ではないし、首相の参拝という国家的な問題に対して、いちいち個々の原告への賠償を認めるような場ではない。裁判制度をそういった運動の場として利用するのは彼らの勝手だが、「違憲かどうかは日本人の問題で、私たちにとってはさほど大きな問題ではない」といいきるなら、最初から憲法を振りかざして裁判などしないでほしい。そんなに裁判にしたいなら、国際法廷にでも持ち出したらどうか。
 やはり、ここでは靖国神社そのものの性質や、それに首相が関わることの問題について、冷静に判断するようにすべきだし、立憲主義国家であろうとするなら、「違憲かどうか」が中心的な問題だというべきだろう。その意味では、今回の訴訟が国際的な運動の一環として行われているということは、この判決の意義を減殺させることになりはしないかと懸念する。これはすぐれて国内の問題であり、憲法をめぐる大事な論点である。国際的な駆け引きに利用されるというのは、やはり不幸な状況と考えざるを得ない。