あまりにも「佐藤幸治」的な
- 作者: 佐藤幸治
- 出版社/メーカー: 成文堂
- 発売日: 2011/05/01
- メディア: 単行本
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佐藤幸治といえば、いまや悪しき司法改革のA級戦犯的な微妙な立場。ですが、ぼくらが受験をしていたころには、佐藤幸治の本を持っていない人はいないくらいの人気を誇っていたものです。
さて、そんな佐藤先生が書き下ろしたこの本ですが、昔からある青林書院のほうの教科書とそれほど大きく違ってはいないようで、安心するやらがっかりするやら。司法試験用の基本書として使いにくいと思われるのは、学説が対立するようなシーンで消去法で決めてるような書き方が目立つところ。たとえば、「A説では狭きに失するが、他方、B説は広きに失する」(p.235)としてその中間説を唱えたり、X説にはこれこれの難点があり、Y説にはしかじかの難点があるので、結局Z説がよい、という論理展開がなされたり(p.233)しています。これでは答案を書くのにも説得力のある論述ができないですよね。受験生がこういう消去法的な答案を書くと、「裸の利益衡量」をやっているといわれて、出来の悪い答案の見本のようにいわれたものです。
おそらく、佐藤先生の頭の中には、単純な利益衡量ではなく、もっと複雑な論理展開が渦巻いているんだろうし、利益衡量にしても、もっと深遠で人格的な判断がなされているんだろうと思われます。ただ、それがテキスト上に現れてこないのがなんとももどかしい。
ツィッターにも少し書きましたが、本書には、政教分離の原則における「宗教」の意義を広く解して分離原則を厳格に貫くと、「広島や長崎の原爆平和祈年式典さえ違憲となりかねない」などという論述も出てきます。もちろん、佐藤先生がそのように考えているというのではなく、「極端に考えていくとこういうことにもなりかねないよ」という警鐘的な意味で書いてあるのですが、いったい、そういう考え方をしている学者なり裁判官がこの世にいますか。平和祈年式典のどこをどう解釈すれば「宗教」に該当することになるでしょうか。実際に出席したうえでの見解なのでしょうか。こういう思い込みの激しさが、司法改革チームでの議論にも見え隠れしていたのかもしれません。
また、政教分離のところでは、平成14年の最高裁の大嘗祭合憲判決にも触れていないなど、網羅性にも欠けるようなところがあります。最高裁の判例としてそれなりに妥当している判例であり、当然ながら、模範六法などにも紹介されている判例なのですから、どこかで言及があってもよかったのではないかと思います。
結局、良くも悪くもいかにも佐藤先生による、佐藤先生らしい本になっています。「わかってる人」が読む分には頭の整理になっていいのでしょうが、初学者が読むのはちょっと辛いかなというのが感想。
星5つが満点だとすれば、星3つ半くらいという評価でしょうか。