なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

Winny問題から何を学ぶか

 id:koufuuさんが、小職の上記の日記を参照していただいたうえで、技術者の視点からWinny問題を取り上げて考察しておられます。
 そういうご懸念が出てくるというのも、とてもよく分かります。
 刑法の原則に、「罪刑法定主義」というのがあって、どのような行為が犯罪に問われるのか、法律にきちっと書いておかねばならない、というふうにいわれています。そうしなければ、国民に萎縮効果が働いてしまい、自由な活動ができなくなる、と説かれています。今回のWinny事件は、ソフトを開発される技術者さんの視点から見れば、まさしく、どのような行為が違法とされるのかわからなくなり、結果的に、「及び腰」になったり、「言論を控えざるを得なくなったり」する危険があります。
 このような意味では、「幇助」というきわめて曖昧な(というか、幇助と非幇助の区別の判断が定型的になしにくい)概念で47氏を検挙してしまったという点は、わが国のソフトウェア開発に、あるいはネット上での言論活動にも、悪影響を与えてしまったといわざるを得ないでしょう。
 問題なのは、検挙する側がそこまで考えて今回の逮捕に至ったのか、ということです。京都府警は、自分のところの警官がWinnyを使った結果、捜査資料が流出してしまったのではないか、と報道されています。その失地回復のため、47氏を逮捕することにしたのではないかという噂もささやかれています。また、本来であれば令状をチェックする裁判所も、koufuuさんが懸念されるような点まで踏まえて、逮捕状や勾留令状を発布したとは考えにくいです。本日の報道によれば、裁判所は、47氏を今も拘束している理由として、罪証隠滅の恐れがあることを挙げているようですが、萎縮効果という点に触れているようには見えません。検察官や裁判官は、いわば「1個の事件」としてしかモノを見ない性質を持っていますので、こういう目先のことしか考えない結論を出してしまいがちです。たとえば、先日の田中真紀子長女事件でも、地裁の判断は「出版停止」で、高裁に行って覆ったことがありましたが、それも、地裁レベルではなかなか大きなものの見方ができないということの現れでしょう。
 では、われわれ国民が、今回の事件から何を学び、どう行動していくべきか。技術者が安心してソフトウェアの開発を行うことができ、著作権P2Pについて忌憚ない意見を交わせるようにするにはどうすればよいのでしょうか。この点に答えることは現状では非常に難しいといわざるを得ないでしょう。
 ひとつは、過去の判例から学ぶことです。何が幇助になり、違法になるか。刑法の解説書を見ても答えははっきりしません。ならば、実例から教訓を見つけるしかありません。FLMASK事件などは、幇助の概念を考えるひとつの素材になるでしょう。また、今回のWinny事件も、裁判所が弁護団の主張に正面から向き合ってくれるならば、今後のひとつの指針とすることができるでしょう。
 もう一つは、政府がガイドラインを作ることです。どのような行為やソフトなら違法で、あるいはセーフなのか。独禁法の分野では、公正取引委員会が一定のガイドラインを公表しています。現在の司法制度のもとでは、裁判所がガイドラインを示すことは困難です。やるとすれば、文科省とか通産省とか、そういうプログラムとか著作権を管轄する省庁が、現在の見解を示すことです。少なくとも「これさえ守っておけば検挙されることはない」というガイドラインを示すことは、予測可能性を与えるという意味で大切なことです。