お粗末な広島刑務所の「管理と運営」
11日午前10時40分ごろ、広島市中区吉島町の広島刑務所で、殺人未遂などの罪で服役中の中国人李国林受刑者(40)が所在不明になった。広島県警は脱走したとみて、李受刑者の顔写真を公開。全国に指名手配し、逃走容疑で捜査している。
刑務所によると、李受刑者は刑務所内のグラウンドで運動中に逃走したとみられ、午前10時40分ごろに運動後の点呼をした際に所在不明が判明した。監視カメラには同10時半ごろ、グラウンドの隅にある用具小屋の屋根に上り、壁(高さ約2.6メートル)を乗り越える李受刑者が映っていた。所内にはカメラ98台が設置されているが、監視する職員は1人で見落としたという。
李受刑者はその後、雨どいなどをつたって事務所の屋上に上り、敷地内を移動。工事のために設置された仮塀(高さ約3メートル)を越え、さらに工事中の塀も足場などを利用して乗り越えたとみられる。塀には本来なら接触するとブザーが鳴る防犯線があるが、工事のために取り外されていたという。
http://www.asahi.com/national/update/0111/OSK201201110058.html
弁護士会には、受刑者から「知人との面談を不当に断られた」、「外部への信書の発信が突然、不許可にされた」、「看守から嫌がらせをされた」など、多種多様な事柄について、人権救済の申し立てがなされます。とくに当地の刑務所ではその申し立てが多いのです。
当然、弁護士会では、事実を調査し、刑務所当局に対し、なぜそのような制約を課するのか、その根拠を尋ねます。多くの場合、木で鼻をくくったような回答しか返ってきません。それが「刑務所の管理運営上の都合」というものです。もちろん、刑務所は集団生活の場です。刑務所の管理運営の責任は、刑務所長にあるのですから、集団生活面で最低限のルールを定めたり、他人に危害を加えるようなことをする受刑者がいるのであれば、それを取り締まったりすることは必要不可欠です。しかし、何が何でも「刑務所の管理運営上の都合」ということで誤魔化すのは、思考停止以外のなにものでもありません。刑務所サイドは、自分たちがやっていることを正当化するためのマジックワードとして「刑務所の管理運営上の都合」を持ち出すだけで、具体的に「管理運営」にどのような「都合」があるというのか、その詳細は決してつまびらかにしようとはしません。
今日、刑務所で受刑者の脱走事件がありました。地元ではこのニュースで持ちきりで、娘もいつもより早く下校してきたようです。
もちろん、悪いのは脱走した当事者です。市民が不安に思うのももっともです。
では、刑務所はいったい何をしていたのでしょうか。いつも、ことあるごとに「刑務所の管理運営上の都合」を振りかざして、受刑者を押さえつけてきたその姿勢は、いったい何の役に立ったというのでしょうか。弁護士会に対しては、「刑務所の管理運営上の都合」があるから受刑者をコントロール下に置いておく必要があると説明しながら、その実は、管理も運営も極めて杜撰であったということです。言い換えれば、「刑務所の管理運営上の都合」なんて最初からなかったし、おざなりな杏璃や運営しかしてこなかったことが露見しただけです。
地元のテレビでは、総務課長が頭を下げる映像が流れていました。所長はどこへ消えたのでしょうか。まず頭を下げるべきは、マスコミに対して説明を果たすべきなのは、管理運営の責任者である所長ご自身なのではないでしょうか。
いま、ぼくがもっとも懸念することは、逃走した受刑者が何かをしでかすかもしれないということよりも、この事件をきっかけにして、刑務所当局が、ますます受刑者への不当な干渉を強化するのではないかということです。しかし、いかに受刑者を弾圧して、厳しくコントロールしようとしても、脱走するヤツは脱走するものだし、まずは脱走犯をきちんと捕まえ、刑務所自らが、真剣にお粗末すぎた「管理運営」を反省することでしょう。そして、彼らには二度と、「刑務所の管理運営上の都合」で受刑者の権利を制限しているなどは口走ってもらいたくない。少なくとも、広島刑務所には、その資格はない。管理も運営も、そこにはまったくないに等しい状態であったのだから。