なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

「逆検察審査会」を作って欲しい

 小沢一郎が強制起訴されそうな自体になっていることについて、検察審査会に対する批判が一部で渦巻いています。
 しかし,検察審査会の制度が改正されたときから,こうした事態が生じることは予想できたことです。どこかの弁護士のように今さら「どこの馬の骨ともわからない人が審査するなんて怖い」って言ってみたところで始まらないし、それって結局、素人11人で審査させようとした制度の趣旨を正面から否定するものですよね。だったら,改正法ができそうになった時点でもっと強力に反対すべきでしたよ。
 それに,強制起訴されたとしても、どうせ証拠が脆弱なら、結局、無罪になるわけです。だからといって,安易に強制起訴されて良いとは思えないけど、それが審査会の判断なら従わざるをえないのが法の世界です。諦めてください,って話です。
 ところで,現在の検察審査会は、検察官が起訴しなかった事件について、その当不当を判断します。しかし,実際には、「なんでこんな事件を起訴するのか」という事件も多いのも事実。もちろん,不当な起訴に対しては、これまで弁護士たちは「公訴権濫用の理論」とか「可罰的違法性の理論」などを駆使して裁判所で争ってきましたが、それは実際にはまったく受け入れらてきませんでした。
 そうした現実を考えると、検察審査会に、「検察官が起訴したことの当不等」を判断する権限を与えるのはどうかと思います。「起訴不当」とか「不起訴相当」なんて決議をするのです。もちろん,そんなことをやっていては、多くの被疑者や被告人から審査会への申立がなされることになり、審査会はパンクするだろうし、訴訟の遅延ということにもなるでしょう。いわば机上の空論であって,実際に導入されることはありえないんでしょうけどね。
 要するに、問題の根っこは、「起訴便宜主義」といって、検察官に「こいつを起訴するかしないか」の権限が独占されていて、起訴されてしまったらそれが争えないというところにあるのです。不起訴の場合には審査会があるだけまだましなのではないでしょうか。そう思えば、検察審査会の判断を軽々に批判したり、審査員である国民を「馬の骨」呼ばわりしてないがしろにしようとする態度も,どうなのかと思います。