なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

検察審査会の決定は尊重しよう

 小沢一郎民主党元代表資金管理団体陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会は4日、小沢氏を04年、05年分の政治資金収支報告書の虚偽記載罪で起訴すべきだとする「起訴議決」を公表した。これにより、小沢氏は強制起訴されることが決まった。審査会は関与を否定する小沢氏の供述を「信用できない」と判断した。小沢氏の進退を問う声が高まることは確実で、政権に大きな打撃を与えるとみられる。

 議決は、民主党代表選が行われた9月14日付。第5審査会は審査会制度について「国民は裁判所に無罪か有罪かを判断してもらう権利があるという考えに基づくもので、容疑不十分として検察官が起訴をちゅうちょした場合に、国民の責任において刑事裁判で黒白をつけようとする制度である」との見解を示した。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101004k0000e040076000c.html

 検察審査会法が改正され,起訴強制の制度ができて1年半。各地で著名事件の起訴議決がちらほらとみられるようになりました。これまでに起訴が決まった明石の歩道橋事件とか,JR西日本の列車衝突事故事件などでは,「検察審査会がおかしい」という声はそれほど目立たなかったのに,小沢一郎の件に関しては,なぜか検察審査会に対する不満が渦巻いているようです。
 しかし、そもそも、検察審査会法が改正されたのは、検察庁による起訴便宜主義の例外として、とくに厳格な要件で検察審査会の権限を強化し、チェック機能を強化したというものです。したがって、審査会が2度にわたって起訴相当の判断をしたということであれば、それを尊重するのが当然です。殺人犯が「おれは裁判員裁判なんて受けたくない」と駄々をこねても通らないのと同じで、そういう制度になっているのです。いまさら、検察審査会の議論が不透明だとか、だれが審査員かわからないなんて言ってみても始まりません。そんなことをいうなら、裁判員だって評議の中身は漏らしてはならないことになっているわけだし、裁判員がどこの誰かなんてわかりゃしません。
 そもそも、小沢一郎が本件で起訴されたとしても、村木さんと違って身柄を拘束されているわけでもなく、自由に政治活動だって昼寝だってできます。自らが潔白だと主張されるのであれば、正々堂々と裁判で無実を勝ち取ればいいのです。
 江川紹子さんなど一部の論者は、「検察がなんども調べてなんども不起訴にしているのであり、公判で有罪にできるはずがない」などといいます。おそらくそのとおりでしょう。しかし、検察が「なんども不起訴にする」ことへのチェック機能を果たすのが検察審査会である以上、「検察庁がなんども不起訴にしてるのに」とか「どうせ有罪にはならない」というのは検察審査会やその制度を非難する理由にはなりえないことは明白です。
 また、ごく一部の人は、検察審査会のメンバーの抽出が意図的に行われているかのような主張をしています。申し訳ないけど、これはもはや妄想の類です。実務を見てみると、そうした人為が介在して、人選をコントロールすることは不可能です。選定までのシステムは異なりますが、裁判員候補者を意図的に選べないのと同じことです。 
 そうしてみると、今回、検察審査会を批判する人の真意はいったいどこにあるのでしょうか。明石やJR西のときには文句を言わない人が、今回、文句を言っているのを見ると、やはり対象が小沢一郎だからでしょうか。対象が政治家だから、検察審査会は遠慮をしろということなのでしょうか。そうであれば、ぼくはますますそうした考え方には同調しません。検察庁が上申書のみで事件を片付けた金丸事件を例に出すまでもなく、検察庁が政治家に遠慮して起訴をしないといいう例もちらほらみられます。検察審査会はそのようなときにこそ活躍するべきだと考えます。