なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

バブル本の当事者たち

 http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html
 茂木健一郎 クオリア日記: 当事者として 
 書籍バブル論について~私も当事者の感想を入れます- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!
 冒頭の書店の店長さんのブログが面白いです。茂木さんや勝間さんの本が爆発的に売れ、書店に並び、そして、やがて消えていく、そうした現象について書店員さんの立場から感想が述べられています。
 それに対して、名前を挙げられた茂木さんや勝間さんが反論をしているのが下二つの記事。どちらも同じような反論をしておられます。要するに、著者としてはどの本も誠心誠意、編集者や周辺の人たちと一緒になって作り上げているものであり、著者が意図してバブルを作り上げているものではないし、バブルを呼び込むのは読者側の事情ではないかというものです。
 しかし、個人的には、店長コラムの次の一節に対するきちんとした反論が聞きたかった。

「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりがスピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、バブルが弾けました。

「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、結果飽和状態になり、弾けました。

書店「バブル」になった著者は、自分の持っている知識なり、考え方が他の人の役に立てばとの思いで本を出すのだと思うのですが、そうであるならばなぜ出版点数を重ねる度に、「なんで、こんなにまでして出版すんの?」と悲しくなるような本を出すのでしょう。

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 茂木さんにしても、勝間さんにしても、初期の本は内容も濃く、買って今でも手元に置いています。その後の展開は、この店長さんが言うとおりで、最近の両著者の本は、正直に言えば、「図書館で借りれば十分」という感じです。もちろん、今でも、人気のある著者ですので、その著作も図書館ですぐに借りられるような状況にはありません。それでも、半年くらいして借りやすくなったときに借りて読もう、と思わせるような本なのです。
 著者ブログにあるような著者の姿勢が今後も変わらないのだとすれば(要するに批判に正面から答えようとしていないように見える)、ぼくの姿勢も変わらないのかもしれません。