なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

語らない弁護人

 広島市で05年11月、小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死などの罪に問われ、差し戻し控訴審判決(7月28日)で無期懲役を言い渡されたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)について、検察、弁護側は11日、最高裁に上告しないと発表した。上告期限が切れる12日午前0時で判決が確定し、裁判は1審初公判(06年5月)から4年3カ月で終結した。

 検察は1審から一貫して死刑を求め、弁護側は殺意やわいせつ目的を否認し、殺人と強制わいせつ致死では無罪か刑の減軽を求めていた。

 広島高検の津熊寅雄次席検事は高裁判決に重大な憲法違反がないことなどを挙げ、「ご遺族の心情に配慮しつつ判決内容を検討したが、適切な上告理由を見いだせなかった」とコメントした。弁護団は断念理由を説明しなかった。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100812k0000m040073000c.html

 検察側が上告を断念したのは、よく分かる。上告理由が見あたらないということに尽きるのでしょう。
 しかし、弁護側がなぜ上告しないのか、しない理由は何なのか、まったく説明すらしないのは納得できないと感じる人もいいと思います。とりわけ弁護人は、捜査段階から積極的に記者会見に応じて、被疑者(今の被告人)の言い分をマスコミに流してきたわけです。そうであれば、上告をやめたというときにも、なぜやめたのか、その理由をオープンにするのが、一貫した姿勢というべきなのではないでしょうか。
 もちろん、弁護人は被告人の意向を受けて行動するものです。被告人が、上告しない理由を明らかにしたくない、マスコミにも話してもらいたくない、と言っているなら、それを無視して弁護人が語ることは逆に許されません。本件でもそうした理由なのではないかと推測はできます。
 しかし、被告人は、これまで、「悪魔が入ってきた」などという一見すれば信じがたいような説明をして、心神喪失による無罪を主張していました。そうであれば、無期懲役の判決だって不服のはずであり、上告して争うのが普通のように感じます。何も説明しないままであれば、「結局、ああいう主張は死刑を免れるための作話だったのか」と思われても仕方がないのでではないでしょうか。「語る弁護人」が「語らない弁護人」になってしまったとすれば、それはそれで、何かのコメントがあってしかるべきだと感じずにはおられません。