なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

あまりにガッカリな千葉法相の死刑執行

 法務省は28日、2人の死刑を執行したと発表した。民主党政権下の千葉景子法相による執行命令は初めて。千葉法相は超党派でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだったが、法相就任後は「政府の一員となり距離を置く」としてメンバーから外れていた。刑事訴訟法は「死刑の執行は法相の命令による」と定めており、信念よりも法相の職務を優先させたとみられる。

 千葉法相は執行後の会見で、死刑制度存廃を含めて議論する勉強会を設置し、東京拘置所の刑場を報道機関に公開するよう省内に指示したことを明らかにした。指揮命令を確認するためとして、東京拘置所で自ら執行に立ち会ったという。法相が立ち会ったのは初めてとみられる。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100728dde001010024000c.html

 このニュースを最初に知ったのは,ツイッターでのTLでした。もはや「がっかり」という言葉しか出てきません。今日という日は,日本の死刑の歴史に残る日になるかもしれません。
 刑場を公開したり,勉強会を設置したり,執行に立ち会ったり,こうした姿勢は,従来の法務大臣にはなかったことです。千葉大臣にも相当の覚悟があったことは想像に難くないところです。当然予想される多くの批判を承知のうえで,これらの施策と引き換えにするかのように死刑の執行に踏み切ったその態度は,一定の評価はしてもよいと思います。死刑の執行をされた死刑囚も,誰が見ても凶悪犯で冤罪のおそれもないだろうというものをチョイスしたのではないかと思わせます。「慎重な判断」という言葉に嘘はなかったのかもしれません。
 しかし,それでもなお,彼女が本気で死刑執行に反対してきたのなら,たとえ法相という立場にあったとしても,執行に踏み切るべきではなかったと考えます。
 もちろん,「法律の執行は役人の義務。法務大臣を引き受けた以上,信念よりも執行を優先すべきだ。嫌なら大臣を引き受けるべきではない」と主張するひともいらっしゃいます。このような意見は極めて正論です。死刑を執行した彼女の行動に,なんらの法的な問題や瑕疵があるとは思えない。大臣が,好き嫌いで法律の運用を変えることがあるとすれば,それは確かに問題があると思います。たとえば,「オレは消費税廃止論者だから,消費税は払わない。いや,明日から暫くの間,消費税はやめる」などという大臣がいたとすれば,それは許されるものではないでしょう。
 そうしてみると,本件が特殊なのは,やはり,死刑というのが人の命を奪う行為であり,国際的にも厳しい非難にさらされているという点にあります。こうした極めてセンシティブな問題について,大臣が自分の見識で執行を控えるという判断をしたとしても,それはそれで,大臣の判断として許容される余地があるのではないかとぼくは考えます。彼女が本気で死刑の廃止を推進しようと考えているのであれば,どうせそんなに長くはないその在任中,死刑の執行をしないという選択もできたはずです。逆に,今,このタイミングで死刑の執行をしなければならない積極的な理由はなく,執行を事実上停止したところで,具体的な害悪が発生するとはとても思えません。刑場の公開,勉強会の設置などは,死刑の執行をする前にやってこそ意味があることで,執行が終わったあとでやったところで,その意味は大きく減殺されてしまうのではないでしょうか。
 ついでに,死刑に関する情報を公開しようとするのであれば,単に刑場を公開するだけでは不十分です。最低でも必要なのは,死刑を執行されるその死刑囚に,数日前にその告知をすべきです。また,できれば国民にも,事前にそれを公開すべきです。そして,死刑囚が望むなら,家族と最後の面会をさせ,最後の晩餐くらいは,好きなものを食べさせてやってもよいのではないでしょうか。もちろん,「被害者はある日突然,理不尽に命を奪われているのであり,凶悪犯人に手厚く接する必要はない」という批判はあるでしょう。しかし,理不尽な殺し方をした犯人だから,国家が非人道的な処刑をしてよいという理由はありません。だったら私怨でも仇討でもなんでもやらせて公開処刑でもすればいい。そうではなく,やはり国家が死刑を存置し,その執行を正当化しようというのであれば,その執行にあたっては,人間の尊厳を大切にするような措置をとるべきです。あの死刑大国中国ですら,邦人の死刑の執行にあたって,わざわざそれを事前に通知し,親族を中国に呼んで面会させる機会を作ったくらいです。中国にできて我が国にできないはずはないです。
 このがっかり感は当分,ぬぐい去ることはできないと思いますが,これを機に何かが変わっていくことを期待するしかありません。そうでなければ,死刑という論点に関しては,自民党時代と何も変わらなかったということになってしまうわけですから。
 最後に,本件に関する日弁連の会長声明の一部を引用しておきます。

千葉法務大臣は、その就任直後の時点において、死刑の執行は人命にかかわる問題ゆえに、慎重に取り扱っていきたいと述べていた。にもかかわらず、千葉法務大臣が、本日まで積極的な議論の場の創設や情報公開の促進などを行うことのないまま、2名の死刑執行を行ったことは、極めて遺憾である。

日本政府は2008年10月、国際人権(自由権)規約委員会より、「政府は、世論調査の結果に拘わらず死刑廃止を前向きに検討し、必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである。」との勧告をはじめ、死刑に直面する人々に対し、必要的上訴制度の欠如を含む手続的保障の不備(今回執行された2名のうち1名も、自ら控訴を取下げ死刑が確定している。)や、死刑確定者に対する非人道的処遇の改善など、数々の問題点を指摘され、その改善を迫られた。

その後も、わが国の死刑制度をめぐっては、様々な問題が浮上している。2009年10月には、すでに死刑が執行された飯塚事件について、死刑判決を支える有力証拠のDNA鑑定が誤りあったことを理由とした再審請求がなされている。また本年4月27日には、最高裁第三小法廷において高裁での死刑判決を破棄・差し戻す判決が下された。

今こそ、死刑制度の抱える問題点について、幅広い議論を行い、そのために死刑の執行を停止すべき時である。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/100728.html