なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

芸術とわいせつの隙間

 路上や墓地など公共の場でヌード写真を撮影したとして警視庁保安課は10日、写真家の篠山紀信氏(68)の東京・赤坂の事務所や自宅、モデルの所属事務所の計3カ所を公然わいせつ容疑で家宅捜索した。

 問題になったのは1月発売のヌード写真集「NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO」。

 捜索容疑は、08年8月中旬〜下旬に都内の屋外でモデル女性(21)の裸の写真を撮影したとしている。保安課によると撮影場所は台場周辺や赤坂、青山霊園など十数カ所とみられ、写真集六十数ページのほとんどが通行人の目に触れる公共の場で撮影されており、公然わいせつの疑いがあるという。モデルがもう1人写っているが、特定できていないという。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091110k0000e040072000c.html

 篠山紀信と言えば、その昔、GOROの表紙やポスターで活躍してました。最近は、そうした雑誌文化そのものが衰退しているような気がしますね。
 この問題となった写真集は見ていませんが、「公共の場で撮影された」ことだけで立件するというのは不公平に過ぎるような気がします。
 ちまたには、「露出もの」のようなビデオや本がごろごろしてますよね? 篠山紀信を立件する前に、そうしたものについてもきちんと立件しろと言いたい。篠山がよくてほかがだめというのではなく、法を執行しようとするなら、できる限り公平にやるべきだと言いたいのです。
 もちろん、この議論の少し先には、「芸術とわいせつ」という深遠な問題が横たわっています。篠山作品が芸術かどうかは見る人によるのでしょうが、それでも、上記の「露出もの」とは違うストーリーで語られるべきなのはあきらかであると思います。
 こうしたいたちごっこや、「出る杭は打つ」式の取り締まりはもうやめて、一度、どこまでが違法でどこまでが合法なのか、何をやったら検挙されて、検挙されないのか、そうした線引きを権力側が示すべきです。権力が示せないのだとしたら、司法判断が待たれるところです。この手の検挙は、結局見せしめ的に大きく報道されるものの、その後は書類送検だの罰金だのでうやむやにすんでしまうことが多いものです。そうした処理はやめて、堂々と裁判所で争ってみてほしいと思います。