なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

親しみやすさを強調する裁判官に気をつけろ

 裁判員制度の導入が近づくにつれ、裁判官が急にフレンドリーさを強調し始めました。
 たとえば、地元の新聞では、「裁判官の素顔」のような記事が載り、いかに裁判所の風通しがよいか、自分たちが刑事裁判に真剣に取り組んでいるのか、が裁判官の氏名や年齢、写真入りで記事になっています。休みの日にはどんな趣味を満喫しているか、そんなプライベートについてもふれてあったりします。一昔前なら、考えられなかったことです。

 ここで強調したいのは、実は裁判所はそんな自由なところではないとか、裁判中に寝ている裁判官も多いとか、そんなあら探しではありません。
 ぼくが危惧するのは、いくら裁判官が親しみやすさを演出してみたとしても、われわれは裁判官を選べない、という現実についてです。裁判官がそうやって個性を前面に出し、自らの職業理念と裁判の公正性をアピールするなら、われわれには裁判官を選ぶ権利が与えられるべきです。多くの裁判官候補者の中から、投票などによって裁判官を直接に選任するとか、少なくとも気に入らない裁判官については、忌避できるような制度をおくべきではないかと思うのです。裁判の民主的なコントロールということでいえば、裁判員制度の先にある制度としては、そうした裁判官の任用制度を論じていくべきだと思います。司法試験制度の変更によって、多くの司法試験合格者が生まれています。現在は、裁判所が、自らの意向に沿うような若者をその中から選び出しているわけですが、それだけ数が増えて人材が豊富になってきたとすれば、国民が裁判官を選ぶような制度も模索していくべきです。
 今のように、裁判官を選べない制度の下では、いくら親しみやすさを強調して新聞に登場したとしても、われわれにとってまったく意味がないことです。どんなに人間的な人であろうが、そうでなかろうが、われわれは裁判官を指名して裁判を受けられるわけでもないし、逆にいかれた裁判官であったとしても、それを拒否することはできないのですから
 ようするに、今の新聞記事は、裁判員制度の導入に向けた単なる裁判官の宣伝に過ぎないのです。
 そうやって宣伝だけが上手な裁判官にきをつけろ、と未来の裁判員に訴えたい。