いろいろ言われていますが、死刑について議論すればするほど、死刑を回避する方向で議論が収まっていくのは当然のような気がします。本当の意味で、「死刑を選択しなければならないやむを得ない事情」があるのは、オウムのテロ事件のような、ほんとうに限られた事案だけなんじゃないかと思います。
そういう意味では、死刑について国民に向き合う機会を作ったという立法者の意思は見事に実現しているわけで、裁判員裁判を実施した一つの意義がここに現れているような気がします。
だからといって、ぼくが裁判員裁判を歓迎しているわけではないけれど。