なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

コメントに対するお返事2

 id:real-real-realさん、いらっしゃいませ。
 確かに最高裁は、本件について、二重否定のような言い回しで、死刑が相当であるという判断を事実上、しています。そういう判断が「あり得る」ということについては、特に異論を差し挟むつもりはありません。 最高裁が常識外れであるとか、およそあり得ない議論を展開しているとは評価していません。
 ただ、本当に本件が死刑以外があり得ない事件であるとするなら、なぜ1審だけではなく、2審の裁判官も無期懲役の判決を出したのでしょうか。最高裁の判断が間違っているとは言えないのと同じく、無期懲役を選択した2審までの判決も誤っているとはいいきれないと考えます。
 そこで、ぼくには次の疑問が出てきます。そのように判断が分かれる事案において、あえて死刑を選択すべき理由は何かということです。同じ事件で、同じ記録を読んでも、このように、裁判官によって選択が変わってきます。最高裁には3つの小法廷があります。では、他の小法廷に事件が係属したとしたら、果たして破棄の結論が出たでしょうか。死刑か無期かは、結局、どの裁判官に当たるかという運の問題なのでしょうか。
 ぼくは被告人に同情しているとか、更生の余地があるのではないかとか、反省しているのではないかという理由で本件に死刑を選択することに異を唱えているのではありません。死刑か無期か迷うような局面で、さしたる基準もたてないで、死刑以外にはありえないかのように決めつける最高裁の思考回路に疑問を感じるのです。
 あまり直接的な回答になっていませんね。ごめんなさい。
 なんとなく、死刑か無期かを多数決で決めるかのような、「こいつは悪いやつだから死刑で当然だ」というような雰囲気が充満する社会風潮に、割り切れない思いを感じるのです。最近、人を殺しておいて自殺する犯人が多いと思いませんか。死んでわびるとか、死んで自分がやったことから逃げてしまうというやり方に、ぼくは生理的な拒否反応を感じます。だったら最初から人を殺さなければいいし、殺してしまったら死なずに自分の行為に向き合って欲しいと思います。同様に、悪いことをした犯人に、大衆がよってたかって死刑宣告を行い、さっさと処刑してしまえというような雰囲気が出かねないことを、ぼくは懸念します。