なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

報道の自由とはなにか

 マスコミの報道の自由とは何のためにあるのでしょうか。
 もともとは、権力を監視して、反権力とか、権力の、あるいは広く社会の不正とか、そういう言論を保障するためのものだったはずです。なので、マスコミが政治家の不正を指摘したり、犯罪の嫌疑が濃厚な場合にその追及を行うことは、きちんと保障されるべきだと思っています。これに対して、政治家や権力が、報道機関に圧力をかけることはあってはならないことです。たとえば週刊誌が政治家の不正をあばくようなキャンペーン記事を書いた場合に、政治家やその周囲が、個人情報だとかプライバシーだとか、そんな概念を持ち出して言論を制約しようとする行動は、断じて許してはならないと思っています。その意味では、個人情報保護法人権擁護法の適用からマスコミを除外しようという考えはよく理解できます。
 ただし、彼ら報道機関の自由は、そのような社会的に意義のある活動のために保障されているもので、興味本位とかひとりよがりの正義感のためにあるものではありません。
 とくに、何らかの犯罪被害や自然災害に巻き込まれた人に対し、いたずらに刺激的なことを書き立てたり、その人の内面に立ち入るような報道をすることははなはだ疑問です。彼らにも、我々にも、純然たる被害者を鞭打ちようなことをことをする権利はどこにもありません。たとえば、先日、和解が成立した音羽のお受験殺人の件ですが、あれも被害者の母親について憶測を並べ立て、被害者であるはずの遺族を踏みにじりました。また、今回の列車事故でも、コメント欄に書いたように、相変わらず被害者をネタにして報道する姿勢が見られます。
 こんなことを続けていれば、やがて個人情報保護法人権擁護法をマスコミに適用して取り締まろうという風潮が出てきかねないし、そうなったら、権力の不正も追求する術がなくなってしまいかねません。ようするに、今のマスコミがとっている姿勢は、一種の自殺行為に匹敵するものなのです。そのことに気づいて、被害者に対しては自制ある報道を(ただし権力に対しては果敢な報道を)してほしいものです。