なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

裁判員制度と死刑制度

 死刑制度の是非をめぐる議論のひとつに、「冤罪の場合に取りかえしがつかない」というものがあります。死刑存置論者は、冤罪(誤判)問題は死刑の問題とは別に議論をすべきで、誤判防止のための対策を尽くすことで防止すべきだ、という意見のようです。また、戦後のドサクサ期はともかく、現代の精密司法のもとでは、誤判のおそれはほとんどない、などという意見も(特に検察関係者から)聞きます。
 ですが、ことの真相は別にして、死刑相当事案で冤罪が主張される例は、現代でもときどきあります。たとえば、仙台の筋弛緩剤事件(求刑は無期でした)とか、埼玉の八木被告事件などが代表例でしょうか。やはり冤罪によって人が死ぬ可能性があるということを考えると、死刑制度(とくにいったん判決が出たらあとは法務大臣の裁量でいつでも執行できるし、その情報もほとんど公開されないこと)は、このままでいいとは考えにくいと思っています。
 それはそうと、裁判員制度が導入されます。その際、死刑問題はどう扱われるのでしょうか。死刑賛成論者が8割を超える現状からすれば、死刑が少なくともいまと同じペースでどんどん出ることになるのでしょうか。それとも、抑制的な傾向が出てくるのでしょうか。興味深いところです。今の裁判員制度では、量刑も裁判員と裁判官が合議で決めることになっています。冤罪が主張されるような深刻な事件で、裁判員が有罪・無罪のみならず、その量刑も決めなければならない、というのはなかなか負担の重い話です。近い将来、そういった事態が確実にやってきます。