なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

法的には親子だが血縁関係がない場合の養育費の支払い義務について

 妻が婚姻中に別の男性と性的関係を持った結果、その男性との間に子が出生することはありうる。そして、妻がそのことを秘して年数がたってしまうと、もはや夫がその子を自分の子ではないと争うことができなくなる場合がある。
 その状態で夫婦が離婚することになった場合、果たして夫は、子に対する養育費の支払い義務を負うか。
 この論点について、興味深い最高裁判例が現れた。
 最高裁平成23年3月18日判決は、次のようにいう。

以上の事情を総合考慮すると,被上告人が上告人に対し離婚後の二男の監護費用の分担を求めることは,監護費用の分担につき判断するに当たっては子の福祉に十分配慮すべきであることを考慮してもなお,権利の濫用に当たるというべきである。

 引用した部分でも「総合考慮すると」とわざわざ断っているとおり、この裁判例はあくまでも事例判決である。つまり、この判決では、血縁関係のない子に対する養育費の支払いはしなくてもよいと判断されたが、事情によっては、その逆の判断もあり得るということ。この裁判例によれば、父は、事情を知らなかったとはいえ、毎月150万円の生活費を妻に渡していたとか、別居中も55万円の婚姻費用を渡していたと認定されていて、こうした多額の費用負担を行ってきたことが大きく考慮されている。もし、夫にそれだけの資力がなかった場合(ほとんどのケースはそうであろう)に、いったい、裁判所がどういう判断を示すのかはよくわからない。
 似たような事例に関する下級審裁判例が、最新の判例時報に載っていた。東京高裁平成21年12月21日判決(判例時報2100号43頁)がそれである。このケースも、元妻が、子が夫の子ではないことを隠し続け、子が成人になってから、生物学的な親子関係が否定され、夫婦が離婚したというものである。夫は、元妻に対し、子の養育費として負担した1800万円の支払いを求めて提訴した。
 裁判所は、この1800万円の根拠について主張や立証を欠くとして、請求を認めなかったが、なお、これまでの経過に鑑み、次のような判断をしている。

 控訴人と一郎の関係は、少なくとも同人が実子でないことが発覚するほぼ成人に達する年齢までは父と息子として良好な親子関係が形成されてきており、その間控訴人は、実子という点を措いてみても、一郎を一人の人間として育て上げたのであり、その過程では、経済的費用の負担やその他親としての様々な悩みや苦労を抱えながらも、これらのいわば対価として、一郎が誕生し乳幼児期、児童期、少年から大人への入り口へと育っていく過程に子を愛しみ監護し養育する者として関わりながら、その成長の日々に金銭には代えられない無上の喜びや感動を一郎から与えられたことは否定できるものではない。

 なかなか味のある判断だと思う。もし自分の子が、実子ではなかったとしても、それまで育てた日々、一緒に暮らしてきた日々がなくなってしまうものではない。子にしても、実の父親ではないことが分かったとしても、これまでどおり父として接してくれるのではなかろうか。そうしてみると、そのことを隠し続けてきた元妻に対する慰謝料の請求をする以外に、養育に要した費用の返還を求めるというのは、いささか行き過ぎであると感じざるを得ない。
 東京高裁の上記の事例は、支払済の養育費相当額の返還を求めるもの、最高裁の事例は、これから支払うべき養育費の負担を免除したものと、それぞれの局面は異なっている。しかし、最高裁も、基本的には、東京高裁と同様の姿勢なのではないかと思う。東京高裁の事件は上告されているということなので、その判断がどうなるのか注目される。