死刑反対者が裁判員になって何が悪い?
鳥取県米子市で昨年起きた強盗殺人事件の裁判員裁判で、裁判員の選任手続きが22日、鳥取地裁(小倉哲浩裁判長)であり、裁判員6人と補充裁判員4人が決まった。参加義務のある裁判員候補者44人のうち34人が手続きに臨み、参加率は約77%だった。死刑が求刑される可能性があることから、中には死刑制度に反対していることを理由に辞退を申し出たという人もいた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100223k0000m040095000c.html
「あなたの言葉」で市民感覚を刑事裁判に取り入れようという目的で始まった裁判員裁判。死刑反対という感覚を持った市民が参加するのも、それはそれで市民感覚の反映になっていいんじゃないでしょうか。政府が行った世論調査が正確だとすれば、せいぜい、6人の裁判員のうち、1人か2人が死刑反対というだけじゃないですか。死刑を選択するのに全員一致が必要というわけでもなく、多数決で決まってしまうですから、別に死刑反対者がいたとしても、痛くもかゆくもないんじゃないかと思われます。あるいは、ものすごい確率で6人全員が死刑反対になったとしても、それはそれで、裁判員を抽選で選ぶ以上、やむを得ないのではないですか。逆に、全員が死刑賛成で評議の必要すらないような裁判が行われる可能性もあるんだし。
もっとも、本件の場合には、死刑反対を理由に、候補者の方から辞退を申し出たということですから、以前からいわれているように、「裁判員逃れ」の方便として使われたのかもしれません。もともと死刑反対というだけで裁判員から排除するのが間違っているわけだから、裁判所としても、「死刑反対というだけでは辞退は認めない」と宣言すればいいんですよ。
そうではなく、全員が死刑賛成論者で裁判が進むというのも、逆の意味で市民感覚からかけ離れた裁判になりそうな気もします。