なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

裁判員裁判では検察官の求刑をやめたらどうかという暴論

 先日、とある裁判員裁判で、検察官の求刑が懲役15年、弁護側の意見が懲役5年という事件があり、判決は求刑どおり懲役15年でした。
 この事件の背景も知らないし、これまでの量刑相場自体がおかしかったという意見も承知のうえであえて言わせてもらうと、検察官の求刑があるが故に、裁判員の判断が思考停止になっているとはいえないだろうか。被告人が許せないやつだから、被害者が厳罰を望んでいるから、だから検察官が求刑する量刑ももっともだ、だから求刑どおりでいいんだ、そうした思考回路ができてしまってはいないのでしょうか。
 本当に裁判員が自分の頭で考え、被告人に罪を償わせるのに懲役何年がいいのかを本気で判断しようとするのであれば、検察官の求刑に引っ張られるようなことはやめたらいい。検察官の求刑も、いわゆる量刑相場の資料も取っ払ってしまって、自分の判断を信じてやってみたらいい。
 そして、自分が関与した判決の期間が過ぎたら、裁判所や法務省から、裁判員に通知をする制度を作ったらどうか。たとえば、上記の事件であれば、15年後、被告人が釈放される段階になって、改めて、当時の裁判員に、「15年経ちましたよ」という通知をする。なかには、寿命で亡くなってしまっている方や、住所が変わっている人、いろんな人がいるでしょう。それが人生です。そのとき、自分がした裁判について改めて考えてみるのも悪くない。
 そうすれば、人を裁くことの重み、1年の長さというものが身にしみてよくわかるのではないでしょうか。