なるしすのブログ

地方の弁護士の日常を,あれこれと書くつもりのブログです。

「良心の呵責」

 いつも受刑者の人権がどうのこうのという記事ばかり書いているのですが、こう見えても(?)、犯罪被害者の問題にも首を突っ込んでいたりします(^^;。今日は、被害者参加制度のもとで行われた法廷を傍聴していたのですが、そこで久しぶりに「良心の呵責」というセリフを聞きました。
 逮捕された被疑者は、当初、犯行を否認していました。捜査が最終局面に差し掛かったところで、それまで頑強に否認していた被疑者が、自白に転じました。その理由を法廷で聞かれた被疑者(今は被告人となって裁判を受けている身)が告げた理由が「良心の呵責に耐えかねた」というものでした。
 「良心の呵責」−−ある意味、すがすがしさをもった言葉です。憲法に裁判官は「この憲法と良心にのみ拘束される」とあるように、法は、誰もが「良心」を持っていて、耳を澄ませて良心の声を聞くことにより、正しい行いをなしうるのだという前提に立っています。「良心の呵責」と言われると、なるほど、この被告人にも、少しは人としてのココロが残っていたんだねぇ、と救われる気持ちになります。
 ところが、今日のこの被告人は、どうやら違ったようです。「良心の呵責」で犯行を認めるようになったと言いながら、肝心な部分では法廷でも曖昧な供述を繰り返したり、最後までしらじらしい弁解を押しとおしたりしました。お前の「良心」というのはその程度のものか、としばし絶望。こんな被告人の非道な犯罪の犠牲になった被害者が気の毒でなりませんでした。
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